2010年4月6日火曜日

アテネ5時間回遊記(1997年12月)

一、いざ出発 
 1997年11月30日ロードス島からオリンピック航空A-703便で、昼すぎアテネに戻った。このあと夜までは自由行動である。旅仲間の約半数はスニオン岬の半日ツァーに出掛けるという。姉妹のご婦人と私達夫婦の4人は、もう一度アテネを気侭に駆けめぐってみようということになった。添乗員の「充分注意」もあったので、パスポートと大きなお札はホテルのセーフティボックスに預けた。
 初めはホテルの運行するシャトルバスで市中心部へ出て歩き始めようと考えたが、2時間待ちとのこと。ホテルのドアマンにタクシーの手配を頼んだら「10分は掛かる、通りへ出て拾ったほうが早い」と言う。

二、ギリシアのタクシー  
 ギリシアでは開いた掌を相手に向けると侮辱したことになるらしい。人差し指を差し出したが、女性運転手のタクシーは通りすぎていった。アクロポリス下の大通りで、何台目かに漸くVOLVOの大型を捕まえた。
 乗客定員は4人なので相乗り客が押し入ってくる心配はない。本来タクシーの相乗りは禁止されているのだが、永年の習慣で止められないとか。    
 ロマンスグレーの運転手は櫛目の入った髪に上着・ネクタイとなかなか端正である。ドイツの往年の名優クルトユルゲンスに一寸似ている。「リカビトスのフニクラ(登山電車)」と告げると、何か問い返してきた。地図を出して指示すると、やおら老眼鏡を取り出して「了解」と目顔でこたえる。あとでよく見たら少し東の方にリカビトス野外円形劇場というのがあった。  
 基本料金は200ドラクマ(以下Drと略記する)で、走り出すと5Dr刻みで積算されてゆく。他所者と見ると遠回りをする悪徳運転手も居るとか聞いていたので、膝上の地図でオリンピック旧スタジアム・シンタグマ広場とチェックしながら、フニクラ駅に到着した。端数切り上げで800Dr支払った。
 昨日ロードス島でグランドホテル前に待機中のタクシーに乗ったときは、メーター料金に300Drの待機または呼び出し料金なるものが加算された。今回は流しを拾ったのでその加算はない。   

三、フニクラでリカビトスの丘へ  
 早速リターン チケット(往復切符)を買って乗りこむ。乗客は初老の夫婦と私達だけである。定員近くまで客待ちをするのかと少し焦ったが、程なく数人が乗り込んできてベルが鳴った。係員はユニフォームではなく私服である。コーヒーの紙コップを手にして大柄の男が運転席に着いた。「船が出るぞー」と今にも叫びそうな、さしづめ陸の船頭といった風貌である。
 2回目のベルが鳴ってドアが閉まる。登り始めて間もなく、上から下ってくる車両と離合したかと思うともう頂上駅である。この間すべてトンネルの中。登山電車の窓から刻々に変化する眼下の眺望を、との期待は敢えなく打ち砕かれた。
 下車して大理石張りの階段を登りつめると展望台である。此処も隅々まで大理石で、ギリシア正教の教会と鐘楼、それに国旗掲揚台が建っていた。ここからの360度パノラマビューはさすがに素晴らしい。西方パルテノン神殿の彼方にはピレウスの海まで見える。一段下の展望レストランのテラスでも、この絶景と飲食を楽しんでいる人たちの姿が見える。 トンネルの中をあっという間の登山電車で、@1000Drはどうも・・・と思ったが、展望台への入場料込みと考えれば納得がゆく。 

四、コロナキ広場  
 電車を降りて係員にコロナキ広場への道順を訊ねているところへ、客待ちタクシーの運転手が二三人「案内する」と私達をとり囲む。広場までは下り坂で遠くもなさそうなので、断って歩き始める。「ノーマネー」というがっかりした嘲笑の声を背中で聞いて、教えられた階段を降りる。
 途中行きずりの人に道を確かめながら、コロナキ広場に辿り着いた。広場に迫り出した大きなカフェテラスでは、多勢の人達が思い思いにテーブルを囲んで、午後のお茶とおしゃべりに余念が無い。      
 近くに美味しいイタリヤンレストランがあると聞いていたが、なかなか見つからない。「Ciao」(イタリアの常用挨拶語)という店はあったがカフェのようである。ここで余り時間を徒費する訳にもいかない。時間とお金の節約で、昼食はファーストフードで済ませようということになった。
 パン屋と見過ごしてしまいそうなお店が、店頭でホットドッグ等の立食も出来るという。早速好みのパンとコーラ・コーヒーで取りあえずの腹拵えをする。具沢山で美味しかったので「Very good」と言って店を出ようとすると、女店員に呼び止められた。おまけに菓子パンを進呈するという。お互いに好意を交わしあった時の爽やかさがふっとよぎる。
 道の右側に立ってタクシーを呼ぶ。傍に来た空車は、運転手が友人と打合せる為だったらしく、乗せてくれない。お客より友人優先である。何台目かに捕まえたタクシーに乗り込み「モナスティラキ広場」と告げるが、無言のまま。しかしここで運転手の人品骨柄を選択している余裕は無い。
 それでも「これはエルムー通りか」と訊ねると「それはもう一つ右側の通りだ」と指差す。ショッビング地図では、それは大きく示されているが意外に狭かった。「Metroentrance(地下鉄 入口)へ」と言う。「Sub way」では通じなかった。

五、モナスティラキ広場から地下鉄へ   
 日曜日の午前中は蚤の市も立つという、モナスティラキ広場の喧騒な一角に止まった。地下鉄入口だと運転手は言うが、それらしき建物も標識も見つからない。近くにいた工事現場の者に「Metro?」と大声で方角を聞く。駅前再開発らしく一面に掘り返されているので、たださえ猥雑な地区なのに尚更判りにくい。
 蚤の市の延長か、怪しげな日本語の露店商人にも何人か呼び止められた。お互いに内ポケットとハンドバッグをしっかりと押さえて、人混みの中を地下鉄への道を探る。判りにくいトタン板塀沿いに、漸くモナスティラキ駅に辿り着いた。
 老朽した駅舎の中には切符売場に駅員が居るだけで、改札係は居ない。南の終点ピレウス迄の切符(@100Dr)を買って、自分で改札機に挿込む。11月30日15時35分と、日時がギジギジと刻印される。あとはそれを持って勝手にプラットホームに入る。落書だらけのニューヨークの地下鉄に比べれば、少々荒んだ感じのこの駅舎や車両内に落書がないのは感心である。   
 列車が発車するや否や、遺蹟の発掘現場のような光景が窓辺を走りすぎる。アクロポリスの丘に近いこの辺りは古代アゴラ(市場)の一部である。満席だった車内で一つ席が空いた。周囲の奇異の目をものともせず、代わる代わる座って「地下鉄乗車記念」の写真を撮る。下町、工場地帯を通りすぎて20分位で港町の終点ピレウスに到着した。  

六、ピレウス港  
 小型で少し薄汚いが、採光式の丸屋根の構内は、パリの郊外電車のターミナル駅に似ていると人は言う。出口に集札箱は置いてあるが投げ入れない人もいる。私達も記念に持ち帰った。
 港を出ると人と車で賑わう大通りを隔てて、すぐ目の前が波止場である。車を呑み込む入口をパックリ開けたフェリーが何隻か係留されている。向岸にはエーゲ海クルーズの観光客船が数隻停泊している。大通りから瀟洒な鉄柵一重えで隔てられたこの岸壁は意外に静かである。  
 快い潮風に心惹かれながらも、先を急ぐ為ピレウス駅に引き返した。途中「ニーハオ」と声が掛かったが、この辺の人達には東洋系の人は中国人と見えるのだろうか。
 この駅には切符自動販売機も設置してあったが、硬貨を持ち合わせていなかった為窓口へ行く。北の終着駅キフィシアまでと5000Dr紙幣を出すと、”市の中心部までなら@100Drで済むのに何でまた終点まで”とでも言いたげな表情で、ゆっくりとお釣りと切符をよこす。
 駅員は右側の列車が先に出ると教えてくれるが、途中のパティシア駅行きである。車両に表示してあるキリル文字の行き先名をどうにか判読して、左側のキフィシア行きの方に乗る。各駅舎にはアルファベットで駅名が並記してあるが、車両にはこれが無い。
  
七、再び地下鉄で北の終点キフィシアへ
 発車して2駅目位(モスハト駅?)の車庫で木製の客車が目についた。奥の蹴込線には木部の塗料がひび割れて、古色蒼然たる時代物の客車が数両駐留してある。鉄道ファンならずとも一寸カメラを向けたくなる。
 再びモナスティラキ駅を通過して地下に潜る。アテネの地下鉄はここからアティキ駅までの3駅間のみが地下で、あとは地上を走るいわば郊外電車のようなものである。
 市街地を抜けて乗客が少し減ったあたりの駅から、心身障害の息子の手を引いた老婆が乗りこんできた。「お恵みを」と銭筒を差し出すが乗客は殆ど無関心に見過ごしている。日頃からの常套行為なのであろう。
 この二人連れと入れ替わるように、次の駅からはアコーデオンの伴奏で唄を歌う二人が入ってきた。ここの車両は連結通路がないので、駅のホームで次の車両に移動するしかない。小柄で年配の歌姫はどうやらジプシーのようである。今度は二三の乗客から投銭を貰って、次の駅で前に移っていった。又別の演歌師夫婦?がシャンソンを奏で始めた頃には、すっかり夕闇が迫っていた。
 窓外の景色は、夜目にも落ち着いたたたずまいと判る住宅地帯が続く。団地は日本のと見紛うばかりである。ギリシャ駐在の日本人も多くはこの地区に住むと聞いている。
 あたりが静かになってからは、ガッチャーンとドアを閉める音が異様に耳に響く。まるで貨物車に閉じ込められてしまうような錯覚すら覚える。K.A.T駅で可成の人が降りていったあと、終点キフィシアに到着した。   
 駅前でそそくさと二三枚写真を撮って駅に戻る。トイレを探して出札係に聞くと、切符のお客を差し置いて「ずっと奥の方だ」と教えてくれる。しかし一つしかないそれは、一人が外でドア番をしなければならないような締まりの悪い代物であった。
 帰りはオモニア駅までの切符を買って改札機に差込んだ。17時34分と刻印されている。ここから出る列車はすべてピレウス行きなので、行き先表示を判別する必要は無い。
   
八、オモニア広場からホテルへ  
 今夜のホテルは実はモナスティラキ駅の方が近い。しかし昼間見たあの猥雑さに夜の妖気が立ち篭めた様を想像すると、一寸敬遠したくなる。それに現代のアゴラ(市場)に近く、放射状に幹線道路が展開するオモニア広場の活気にも触れてみたい。
 地下のオモニア駅からアティナス通りに出て、根気よく人差し指を上下に振る。ヘッドライトを一瞬点滅してタクシーが一台近づいて来た。乗車承諾のサインらしい。一週間前に歩いたプラカ地区へは、時間の都合でカットすることにして「ディバーニ・パレス・アクロポリス・ホテル」と告げる。
 アクロポリスの丘を西回りでホテルに向かう。途中、闇の中にポッカリと、幻想的にライトアップされたパルテノン神殿が横手に見える。助手席でシートベルトを締めようと金具をまさぐっていると、運転手が「自分も締めていないしホテルも近いから、今更締めなくていい」とばかりに手で制する。
 午後6時半ホテルに到着、スニオン岬組はまだ帰っていない。近くの土産物屋を二三軒ひやかしてホテルのロビーに戻った。
 午後1時半ホテルを出発、アテネとピレウスを5時間駈け回って、交通費は@1800Dr(約870円)である。80日間世界一周には程遠いが、或る種の達成感をそれぞれの胸に、ギリシャ旅行最後の夜を迎えた。

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