2010年6月12日土曜日

サンクト・ペテルブルクで「白鳥の湖」を観る (1997年7月)

 バルト三国を経て1997年7月11日夕方サンクト・ペテルブルクに入った。 この街は80年前まではロマノフ王朝による近代ロシヤの首都であった。その時代の香りを残すマリインスキー(旧名キーロフ)劇場でバレー「白鳥の湖」を公演しているという。幸いホテルはイサク聖堂そばの「アストリア」なので、劇場までは歩いても15分位とアクセスもよい。早速添乗員の中村さんを通じて現地ガイドのマルガリータさんにチケットの手配を頼んだ。翌12日の土曜日夜しか私の都合がつかぬため、劇場関係の知人を通じてやっと一枚入手して貰った。50US$であった。   

 開演は午後6時半である。6時にホテルを出てモイカ運河沿いに歩いていった。勿論ブレザーにネクタイ着用である。劇場前のグリンカ通りを隔てた向かい側テアトラリナヤ(劇場)広場には、ロシヤ音楽の父と呼ばれるグリンカとリムスキー・コルサコフの銅像が建っていた。そういえば1859年マリインスキー劇場のいわゆる「こけら落とし」にはグリンカの「イヴァン・スサーニン(皇帝に捧げた命)」が初演されたという。6時20分頃の開場で劇場前の人の列は漸く進みだした。1階の入口ホールは狭くて殆ど無いに等しい。館内にはいくつもの人の列があったので、成るべく短い列にしたがって入場したら1階桟敷席であった。急いで中央の長い列に加わって1階オーケストラ席に入場した。私の指定席は前から6列目、右から3番目であった。右隣りはドイツから来たという初老の夫婦である。左隣りは二人連れの若い女性であった。この街の娘らしい。   

 客席の間を縫ってプログラム売りのおばさんが通る。1部9000ルーブル(約1.6US$)という。生憎ルーブルを持ち合わせていなかったので、2US$を呈示したらニッコリして売ってくれた。ロシヤ語による解説・キャストの他英語版SWAN LAKEの梗概も添付されていた。  

 椅子は意外にも硬い木製で、長時間の着席は可成つらい代物である。舞踏会を催すときはこの仮設式椅子を取り外づしてダンスホールにするという。1階席から見渡すと後部2階正面には2・3階通しでロイヤルボックスが設けられており、その左右両翼は5階まで桟敷席である。5階は所謂天井桟敷で立ち見らしき人達の顔、顔、顔が並ぶ。館内案内掲示によれば2階は”Dress circle”、3階は”First circle”と表示されている。そういえば2・3階の桟敷の前列にはドレスアップした婦人達が着席し、連れ添う男性は後列に控えていた。そのまた後に供の者達がつき従っているのであろう。垣間見た後部桟敷席には椅子が5列程並んでいた。
  
 程なく楽士達が前のボックスに着席して調律が始まった。2・3回予告のブザーが鳴ったあと何のアナウンスも無いまま「白鳥の湖」の前奏曲が演奏される。これが終って重厚な緞帳がゆっくり引き上げられてゆくと、そこは遠くに古城を望む御存じ「白鳥の湖」の畔りの情景である。緞帳にはスポンサーの文字など何もない。主演者、助演者級のそれぞれのソロ、デュエット、群舞のあとは舞台前列に進み出て「お気に召しましたでしょうか」とばかりに観客の拍手を待つ。余程不出来でない限り惜しみない拍手が贈られる。   

 第二幕までの幕間に軽く腹拵えをしておこうとビュッフェを探すが見当らない。コーヒー、紅茶、クッキー程度の売店が3階にあっただけである。また時間も15分位でブザーが鳴るので、日本の幕の内弁当を楽しむような余裕はとてもない。トイレの床、壁は大理石張りながら意外に手狭で、華やかな館内の雰囲気のわりには地味な感じであった。  

 再び予告ブザーが鳴って第2幕宮廷舞踏会の場が始まる。このとき気付いたことが二つある。その一つは舞台の宮廷大広間と観客席とくに薄緑と黄金色に彩られた絢爛たる桟敷席とが如何によく融合していることか。その二は「舞台は横長」の常識を破って、意外に間口の割りに舞台の丈(演劇仲間ではタッパと言うらしい)が高い。1階席から見上げていると寧ろ「縦長」にさえ見える。そのためか舞台の両翼に迫る5階までの桟敷席と宮廷の壮大な円柱の列とが実によく調和している。観客席全体が恰も舞台の宮廷の延長のように渾然一体、王妃選びの舞踏会の情景を華麗に盛り上げる。収容人員1752人というここのたたずまいのメリットであろう。 それに引き替え最近新改築される劇場の多くは客数拡大の商業主義に堕ちて、アーチスト側の希望が軽視されているのではないか。ロンドンのロイヤル・オペラハウスも140年の歳月には勝てず、今月から2年半の工期をかけて大改築に取りかかるという。舞台・設備の近代化とともに観客席も増加されるとのことである。  

 次の幕間に2階のロビーに行ってみた。さすがにタキシード・ロングドレス姿は余り見かけなかったが、すっきりとドレスアップした男女がそこかしこに群れて談笑している。オペラグラスで舞台を鑑賞するかたわら他の桟敷へも視線を廻らせて、来場者の顔触れとその装いを確かめているのであろうか。
 
 館内は写真撮影禁止であるが1階席のあちこちからフラッシュが閃く。すぐ後の席からは開演中にも拘らず韓国語らしき私語が耳に障る。日本人観客も曾てそうであったかも・・と思い、ぐっと我慢する。

 第3幕は再び白鳥が群れ遊ぶ湖畔の場面である。誤ってオディールを選んでしまった王子ジークフリートは悪魔ロットバルトと激闘の末これを倒し、オデット姫と結ばれて目出度く大団円となる。プリマドンナを先頭に出演者が代わるがわる前列に進み出て観客の盛んな拍手を受ける。ブラボーの声も混じって再三のカーテンコールが繰り返されたのち漸く場内が静まる。終演は午後9時10分であった。   

 現地紙The st.Petersburg Times によればウリヤーナ・ロパートキナ、デイアナ・ヴィシニョーワ、ファルフ・ルジマートフ等マリインスキーの指導的パフォーマー達は8月までロンドン公演中とのこと。夏場の常とはいえ、ちょっと残念である。

12日のプログラムにはキャストとして次のように記されている。勿論キリル文字で。
    オデット    鈴木 ヨシコ (日本人)              
    オディール  テンマ チカ (日本人)  
               (わざわざ日本人と注記してある)
    ジークフリート以下はロシヤ人らしき名前が列記してあった。
つい先日(1997.7.13)亡くなった世界的名バレリーナ アレクサンドラ ダニロワも1918年ここからデビューしているという伝統的なマリインスキー劇場で、日本人バレリーナが見事にプリマの大役を果たしているのを見て感銘もひとしおであった。

 北欧の白夜は明るく午後10時半頃日没、11時過ぎまで薄暮が続く。主な交差点には交通安全の警官が立っていて、治安の心配は全く無かった。3時間足らずとはいえ旧王朝時代の雰囲気に半ば陶然としながら、ポリシャヤモルスカヤ通りを歩いて帰路についた。 
 その後日譚・・・名古屋で鈴木ヨシコの帰国公演を見る  

 1998年11月10日「あの鈴木敬子(ヨシコ)が10年ぶり帰国公演」との新聞広告を見る。サンクト・ペテルブルグで彼女のオデットを見たときの感銘を思い出し、主催者松本バレエ団宛思わずペンを執る。上記の観劇記とプログラムコピーを同封してお届けしたところ、折り返し藤田彰彦氏(同バレエ団演出家)より感謝の電話あり。

 鈴木敬子は名古屋市千種区茶屋が坂出身(私の長女が昭和55年当時上野小学校に奉職していたので、もしやと思ったが千代田橋小学校とのこと)、
 幼少(6才)より松本バレエ団で練習に励み、
 千種高校では皆が一流大学を目指す中で、唯一人進学を擲って敢然渡欧。
 サンクト・ペテルブルグのワガノワバレエ学校に入学、
 その後マカロフ(ロシア国立バレエ・アカデミー)に入団して研鑽を積み、今や一流の若手ソリストに成長したとのこと。
たまたまマリインスキー劇場での彼女の活躍ぶりを記した私の上記観劇記は「後輩バレエ団員の良い励みになるので回読させたい」とのことである。    

 翌日チケット・ピア、セゾンに赴き需めるも既に完売済(sold up) 。止むなく藤田氏に入手を依頼した。公演は12月5日(土)夜一回のみである。前日の4日招待券(20 列35番)を贈るとの報せがあり、些少ながらお祝いを用意して上社の同団スタジオを訪問、鈴木敬子本人と松本道子団長に面会する。3年前結婚した彼女の夫君アレクセイ・パンチェーシン(今回はロットバルトを演ずる)とジーグフリード王子役のセルゲイ・ゴルバチョフも一緒に練習中であった。

 今回の公演では名古屋市民会館大ホールの舞台に相応しいように、全2幕に構成し直したと演出家の藤田氏は言う。振り付けは松本道子団長である。オデット、オディールは鈴木の一人二役である。白鳥の清楚、黒鳥の妖艶の踊り分けが興味深い。この他主なレパートリーとしては”ジゼル”のミルタ、”スパルタカス”の妻があるという。

 朝日新聞の3日夕刊芸能欄では、大きく写真入りで「彼女の踊りは情感豊かな芸術性の中に人間的な温かさ優しさを感じさせる」と紹介している。

 170cm の鈴木のオデットがトウ立ちすると、その髪飾りの頂きは190cm の長身ジーグフリードを凌ぐ程である。出演者の殆どが長身揃いのマリインスキーの公演と比較すると、今回の大型デュエットは断然他を圧している感がある。広大な舞台空間を縦横無尽に切り裂くような伸びやかな、そしてメリハリのあるパフォーマンスは観客を魅了する迫力十分であった。終演後の盛大なアンコールの拍手は可成長い時間ずーっと鳴り止まなかった。 マリインスキーでのオディール役、天満チカは大阪出身で親子二代のバレリーナとか。今回鈴木の意欲的なオディールはメイクのせいもあってか、ひときわ精彩を放っていたように思う。素人目ながら鈴木敬子の凛とした首筋の形には妙に惹かれるものがあった。