2010年6月15日火曜日

東海道沿いの我が家(記:2001年12月)

 昭和57年に刊行された「東海道往来」(増田 武夫著)に収録されている旧四日市市内の街道絵図(昭和3年11月現在)を眺めていると70年程前の水車町(みずぐるまちょう)の面影が蘇ってくる。水車町は東海道の海蔵川に架かっていた海蔵橋(かいぞうばし)(今は無い)の南たもとから、南へ約100メートル迄の東海道を軸に、東西に拡がった地域である。
 元禄年代に治左ヱ門なる人がこの地で水車業を始めたところから水車町と呼ばれるようになったと言う。当時我が家の所在地は通常は水車町234番地と称していたが、戸籍では浜一色(はまいっしき)234番地となつていた。現在の地籍では浜一色町2の9番地である。それはともかく、昭和5年に引っ越してきて、昭和20年6月空襲で焼失するまでの東海道沿いの水車町を、北から南へ思い浮かべてみよう。

 まず前述絵図の東海道の東側を、海蔵橋から南へ、
当時の通称 絵図の表示 思い出すことども
山之神 山之神祠 粕森(かすもり)さん? が山嶽信仰の小祠を祭祀していた。
  割烹 容月 幼い私の記憶には無い。
米屋 米辰商店
(こめたつ)
米麦雑穀 武藤辰蔵。
ほしか屋 武藤商店 ほしかとは肥料用干し鰯のこと。大豆・菜種油の絞り粕、多木(たき)肥料の看板もあったが私たちは「ほしか屋」と呼んだ。
目立て屋 水目屋
(みずめや)
鋸目立て、大工道具販売。
はかり屋 青木計器店 度量衡、特に台秤(だいばかり)が店頭に陳列されていた。
瀬戸物屋 辻本商店 万古焼(ばんこやき)に対し中級の陶磁器食器類を「せともの」と呼んだ。
綿屋 伊藤綿屋 当時は主婦が布団綿を買ってきて、又は打ち直して布団を新製・再製することが多かった。
傘屋 伊藤傘屋 屋号入りの番傘や学童用の奴傘(やつこがさ)を店頭で貼っていた。
窯(かま)屋 岩塚窯屋 万古窯元。
しもた屋 会社員塚田 勤め人など、商売をしていない家を「しもたや」といった。
タバコ屋 後藤煙草店 一定距離以内の競合開店を専売局が許さなかった。
風呂屋 銭湯 松蔭湯
(まつかげゆ)
予め買っておいた風呂札(ふろふだ)を番台(ばんだい)に渡して入浴。
床屋 大矢知理髪店 子供客にはラムネ菓子を呉れた。
菓子屋 竹尾菓子屋 後に川原町の菓子屋「宝来軒」は此処で創業した。
窯屋 坂倉窯屋 万古窯元 店の奥は窯場だった。
ろくろ師 松井糊屋 手廻し轆轤(ろくろ)で皿・椀・花瓶を手作り、乾燥まで。かなりの名工だったとか。元は玉糊(たまのり)屋とは知らなかった。

次は東海道の西側を、北から南へ、

当時の通称 絵図の表示 思い出すことども
油屋 斎木だんご屋 だんご屋の記憶は全く無い。ガソリン給油機を店先に据えた河村石油店と覚えている。
呉服屋 武藤呉服店 向かいの米辰・ほしか屋と共に武藤家は水車町の大店(おおだな)。
菓子屋 伊藤菓子店 菓子製造販売、黒飴玉10個1銭、ビスケット10個1銭。
万古屋 杉本万古問屋 あまり覚えていない。

佐藤ランプ屋 殆んど記憶に無い。

神主
中島由太郎
しもた屋だったせいか全く気付かなかった。
八百屋 八百仁
(やおに)
野菜・果物。
万古屋 村田万古問屋 万古焼きの茶器や花瓶などの卸問屋。
万古屋 型万古 小野 よく覚えていない。
万古屋 長谷川
万古問屋

荒物屋 坂部屋 荒物・雑貨から、ちょっとした文房具まで。
下駄屋 会社員 伊藤 会社員と絵図にはあるが、店先での下駄作りが記憶にある。
酒屋 壁佐(かべさ) 絵図では壁材商とあるが、私の記憶では酒・醤油・食用油の小売店だったように覚えている。
米屋 小林商店 米穀薪炭のほか豆・卵も小売、陶磁器窯用の割木(わりき)(薪)を大量に貯蔵販売していた。武藤家と並んで町内の大店の一つ。
デンキ屋
杉本石屋の北半分に引っ越してきたモーターの巻き替えなどの電機修理屋。昭和3年の絵図にはまだ載っていない。
石屋 杉本石材店 屋号は「石一(いしいち)」、大番食品(株)の杉本一三氏の生家。
魚屋 前田屋 これが我が家、屋号は「魚岩」。うどん屋の前田屋(若林家)が昭和5年、出身地の亀山市に引き揚げることになったので、この家を建てた大工・後藤清蔵(私の母方の祖父)の斡旋で我が家が入居し、魚屋を営んだ。

火の見櫓 我が家の南隣りには無かった。 


 昭和7年頃舗装されるまでは凸凹だった前の往還(おうかん)(東海道、広い道路を往還、狭い路地
を「せこ」と呼んだ)を時たま桑名通い(がよい)(桑名行き)のバスがガタゴトと通り過ぎる。時移り人変わり、町並みも戦災で一変してしまった。私の微かな記憶も旧いボンネットバスのように、いつしか砂埃の彼方に走り去ってしまうのだろうか。

 なにしろ、かなり昔の幼い記憶を辿って、古語・死語・俗語を交えながら書き記したので思い違いや欠落があるかも知れない。お気付きの節は忌憚なきご教示を賜りたい。